永代供養 上総浄苑へ 足立宗禅の人生相談

過去と言うあしがかりを忘れた報い

東北の大災害、熊本の大地震これでもかこれでもか まさに、天啓以外の何物でもない。今の日本の環境は狂って居る事に気づかずに居る。自然災害しかり。

国民は科学の恩恵にどっぷりつかり、ここで戦後七十年となった、少子高齢化で生産性を失い当然国は疲弊してくる、三日たっても強震度の地震が続いている まさに恐怖でしかない。

つい最近の事だが、天台宗と真言宗の御坊さんからこんな質問があった、福田海の教えについてである、常に過去を忘れることなく全ての恩恵のそのお陰が今の自分たちであることを忘れず家族、社会、国家更に進んで世界に対して払われた犠牲には敵と味方、生物と無生物の区別なく等しく報恩感謝の温情をもってこれに報ゆべし。

犠牲に対する謝恩を怠れば、不満が残りそれが人類の借銭となり、結局そこには貧が増加し福が後退するという信念これが海祖の教えである。今の日本を見た場合これらの事が忘れ去られそれが今日の困難をまねいているのではという事だった。

しからば私たちは今どうすれば良いのか。
今の日本人には戦後荒廃の中から立ち直った力が無い、先祖の血を受け継いだ魂が無いのである自分が生きている自分の力で生きていると錯覚しているのであって、実は科学によって生かされている事に気づかない恵まれ過ぎて居るからである。

自分の体内に親以前の血が流れている事に気づかされず自分本位で親以前を祀ることを負担と考える、過去、現在、未来と言う時の流れの中に生きていながら現在と過去を断ち切ってしまっては国民の一人、一人が生まれてやがて死ぬというだけで終わってしまう。
blog20160420
古いと言われるかもしれないがご先祖のお陰が各個人の潜在的能力であるのに自分を育成してくれたものを見えないものは信じられないと言って切り捨てて行っては生きてるだけの国民で国の力にはならない。こんな国民を国は一方的に面倒をみる羽目に成っていると言っても過言ではないと思うこれが、現実ではなかろうか。過去を切り捨て先祖を祀る事を負担と考える等は天罰が当たって当たり前、国自らが過去を祀り報恩感謝の行をすべきである。

個人に力が無いと言う事は国の足しにはならない国の負担に成るだけである。自分本位という事は絆はなく、結束する力もないわけでこの辺は、国として考えなければならない事と思うものである、各個人に国を強くすると言った概念はないのだから結局は国が疲弊してしまう。過去を生きたのは先祖だけではない自分もその過去の産物として在る事を肝に銘じることだ。

先祖を祀ると言う伝統は今や零葬という死者は火葬にしてそのまま火葬場へ遺骨を置いてくると言う事が風潮なのである。根があって幹、そして花、實が成り立つことは自然の摂理である。国も国民という根があればこそである。