永代供養 上総浄苑へ 足立宗禅の人生相談

畜魂祭を終えて

4月19日(日)
本年の畜魂祭も護摩奉修のうちに雨もあがり関係者多数のご参加を頂き無事終了した。


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振り返って、大正7年に遡る、屠場から牛の鼻木(鼻環、鼻ぐり)を蒐集し、汚れや血、肉片を洗い落とし、昔は解き放つ意味で環に切れ目を入れ(鼻木洗い)浄祭供養した事に始まったものである。

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以来毎年4月、今年で98年と言う事に成り奉祭の数は七百十万余にのぼる。

蓄霊の供養は全国各地で行われているが牛の鼻木を牛霊供養の対象として祀るのは福田海独特のものである。

開祖通幽尊師は牛は畜類の中で最も人間の役に立ち、最も縁の深いもので、田を耕し、車を引き、乳を人に与え死後は肉も骨も皮も人の役に立ち、この牛霊の供養をせねば人間に大きな借銭が残る。

又、鼻木は牛の肉に通されそれがために自由を奪われ、言わば鼻木は生涯牛を苦しめたもので一頭の牛の一生の恨みが鼻木一個に凝集したものとも言えるのである。

そこには、「不平不満を持つものは特に懇ろに供養せねばならない」という思想が有るのである。

現代は飽食の時代、昔と違い何一つ不自由を感じる事はないだけに、人が今日一日生きるのにどれほどまわりに、犠牲を強いて居るか。

東日本大震災で、生きて行くために日頃は無関心でいた大気、水、食、住など、まざまざと知らされた筈である。

しかれば、ひとり畜霊にのみに関わらず今生きている事の諸々の恩恵に深く感謝を表すため畜霊供養と言う祭祀に参加することで、私は報恩の形を整え犠牲を感謝にかえて行く事が、人として大切なことではないかと思うものである。