今までに数えきれないぐらいお墓の開眼には立ち会ったが、今日は本当に心温まる、そこに祀られるご先祖の喜びを見て思わず笑いがこみ上げるのをどうしようもなかった。
奈良に先祖を祀ってきた旧家であるが、絶家となるので孫が東京に住んでいるのでこれを相続し墓を東京に移したということなのだが、香華百菓を供養しと言うがここまで華で埋まったお墓のお参りに会った事はなかった。よく臨死体験の話にでてくるが、川の向こうにはきれない花が咲いているというが、五輪塔と観音さんが花に埋もれているのはそれをまさに彷彿とさせるものだった。。。
話は変わるが、聞き流してきたことだがこの光景をみて一言 言いたくなった、よくこんなことを耳にする、「子供に迷惑をかけないように墓のことを生きているうちにきちんとしておきたい」親が死ぬということは子供に迷惑なのだろうか。親心なのでうなずいてしまう。が、落ち着いて考えるとはっとさせられる、親みずからが親の死は子供に迷惑をかけることだと教えているのである。テレビの画面には4、5人の女性が墓がきっかけとなり友達になり「墓友」と言って共同で樹木葬の墓を買い仲良く一緒に入れば墓のことで子供に迷惑をかけずにすむと楽しげに話しあっていた、子供のために、家族のために生きてきた親がその生涯を終えるときに至っても自分のことを自分で始末して、それも子供に迷惑がかかるからというのは親心の反面、子供に対する教育としては最低のものであることに気ずかないのだろうか、子供可愛さから親はどうなってもいい、これは子の親として私もそうだ。子が親を、孫が祖父母を簡単に殺してしまう陰にはこうした間違った子への愛情が原因に成っていることを知らねばならない。
先師の教えに「生きているうちに自分の墓を用意することは子供のいない人のすることで、子供が頼りがいのない子供になってしまう」
家運墓相の教えでは、1家に於いて先祖の祀りが出来ていないと相続の力が弱まり子供が生まれなくなったり、女子ばかりになって絶えてしまう事になる。簡単にいえば先祖が供養されず成仏できずにとどまって居るので先がつかえて言わば交通渋滞を起こしているようなもので、したがって後が生まれ育って来ないのである。
今、日本は少子高齢化が進んで人口も減少、生産能力のない老人ばかりで、生まれてくる子供は少なく若い者は働かない。このままでは日本の国は破産してしまわないか、そこで、家運墓相の理論を日本という国家に当てはめてみるとどうだろうか、国という家である。
国民の認識に死んだ人の供養など考える人は全くと言ってもいいほどないのが実情といえよう。火葬場からそのまま山か海に持って行っておしまいである。孤独死も さも現代の風潮、同じく無縁死も同じような感覚である。ということはこれ等の死者の供養はしないのである、一家に於いて先祖の供養がなされないと先祖が滞ってその家の相続が機能しなくなるということだが、これは、死と生の新陳代謝が出来ず死と生の動きが止まってしまう結果から 後に続く子が生まれなくなるのである。
今、日本の国には祀られない浄化されない死者が溢れているのではないか。であれば、少子高齢で採算が合わなくなっても決して不思議ではないではないか。