運は生まれた後の生き方で大きく変わる
自分の運を向上させるとか、開運を図るためにはいろいろな開運方を取り入れるにしても、絶対の第一条件は先祖を正しく祀ることだ。私達は両親という母体から生まれてくる場合、生年月日を指定したり、男女別を指定したりは出来ない。自分の意思とは関係なく、すべて与えられて生まれてくるものなのである。とすれば、両親やそのまた先祖の幸や不幸を、無意識のうちに遺伝子によって引きついでいるのだ。云うなれば、運の良否を背負っていることになる。
貧しい家の十人兄弟の長男や長女に生まれてくる人もいるし、金持ちの一人息子や娘に生まれてくる人もいる。生まれた時点で大きな開きがあるのだ。然し、人生はあきらめてはいけない。生まれた後の生き方や対処の仕方で、大きく変わってくるのである。
先祖は私達の根だ
私は「開運の絶対条件は、先祖を正しく祀る事だ」と言っているが、それは「先祖は子孫の根」だからだ。人は生まれながらにしてそんなに苦労をしなくても、普通に生きられるだけの福禄寿を与えれらている。それを、この大きな恩恵を忘れ小賢しい人間の力で、どうしよう、こうしようともがいているだけなのである。
自分の現在は、過去という根の上に立った幹である。その幹は根がしっかりしていてこそ、初めて大きく育つ。それを根の養生を忘れひたすら幹を育て枝葉を茂らせて果実の実りだけを夢見ていたのでは駄目なのである。墓は根である。家は幹である.
今、私たちがここに生きているということは、肉体的に言えば親があり祖父母があるということである。人間の住むこの地球という自然界の中には、目に見えないものや、人間の感覚ではとらえられないものが一杯ある。が、人間を含めたあらゆるものがその自然界と共存していることを考えれば、また生と死が共存していても決して否定できないのである。運とは「運気」とか「運勢」といった表現によく使われる。それは死者の霊にも言えることであって、それなりの「気」もあれば「勢い」もある。さらにはそれを受け止める生者や家にも、その家の「気」や「勢い」もある。だからこそ、祀る側と祀られる側との釣り合いもまた、大事な要素となるのである。
墓があって家があり人がある
先祖を正しく祀って供養することにより、おのずと次の家ができ、その家には子孫が繁栄することになる。人があって家があり、墓があるのではなく、墓があって家があり、人があるのである。墓や仏壇は先祖を供養するもので、遺骨を納めるだけのものではない。開運のための墓や仏壇はここが違うのである。その作り方の違いによっては開運が悲運になるのである。