経歴
名前:足立宗禅
生年月日:1933.5.16
茨城県水戸市に生まれる。大学卒業後サラリーマン生活に入るが退職。以後数奇な体験の中に運勢の摩訶不思議さを知り、自らの先祖祀りの中で先祖祀りによる運勢学を会得し、中山通幽尊師の福田海の教えに触れ、さらに確信を深め、以来33年福田海で修行を続け今日に至っている。
淨霊の極意は祀りきることから、少子高齢、核家族の進む昨今祀り手を失い宙に迷う死者の霊が多く、これが霊障となって苦しむ人が多いところから、不在となった祀り手に替わって墓域を整え、福田海吉祥菴が憂いなく永代(33回忌)供養をする三昧陵のまつりを勧めている。
最近は占術家から占いの妨げとなる不浄霊の淨霊の依頼を受けている。
足立宗禅先生と私薬師寺管主・喜光寺住職
山田法胤
人間である以上誰もがご先祖を敬いお墓を造りたいと思っている。
ところが佛壇に祀られている過去帳や系図を調べ始めると水子の霊や古い霊、出もどった叔母の霊、妻の親の霊等とまさにさまざまな霊が有ってなかなか複雑で、そう単純にお墓を造る訳にはいかない。適当に考える人は○○家之墓として縁の有る諸霊と一緒に親も祀ってしまう。これこそ雑居生活の墓である。もの言わぬ先祖さまはどう祀られようと文句は言わないが、これでは先祖さまに敬いの気持ちも感謝の気持ちもない。ここで大事なことは直系の先祖と枝葉末節の先祖の区別をしていくことが大切である。面倒だから一緒にして墓を造ってしまうのは逆に先祖を軽視していることになる。
足立先生はこの繁雑な系図や過去帳を明確にし一家の基礎となる直系のご先祖を、祀らなくてもよい霊と区別し、それぞれの供養の仕方を指導される。これはとても大事なことである。
(幸せを呼ぶ「家運墓相学」推薦文より)
菴主より
葬式や墓の回向等、僧侶を招いてこれを行うところから、死者にまつわる行事すべて、お坊さんの範疇と思うかも知れませんが、そうではないのです。まず、仏教とは、正しい教えを実行することで、正しい智慧を得て、悟りの仏陀に到達する悟りを教えているもので、あくまでもこの世に生きる人間のための宗教で、死者のための宗教でも死後のための宗教でもなかったのです。なかったというのは、日本に入って来た仏教は、葬式と供養をするようになったからなのです。釈迦を始め、日本仏教各宗派の宗祖の誰一人、先祖供養や死者のまつりを積極的にした人はいないのです。
が、世界の宗教の共通点は、人間の現世と来世をつかさどるという考え方で、そこには、祈りによる現世の救済と死者の供養による来世の救済があるのです。 宗教は、信仰あってのもので、また、その信仰には霊魂の存在を信じるということが前提となります。
私なども、父や母の死に直面して、自分なりに霊魂の存在を信じ得たといえます。こうした考え方はレベルが低い、低俗・低級という人がいますが、このあたりが悟りを説く仏教哲学とはまったく別のものなので、いうなれば、庶民の側から発した死者の儀礼と仏教の教えとはまったく、次元が違うということなのです。人として、人の死を悼み、その魂を救済しようという、そこには死者の霊魂に対する霊魂観がありますが、これらが、宗教的な要素となって、葬式と供養という形になったので、高いとか、低いとか、一口に「まどうな」と言って切り捨てるお坊さんもいますが、これは次元の違うということを飛び越して、とにかく悟りなさいということを押しつけていることになるのではないでしょうか。私たちには、前述の生活のなかの仏壇と同じく、古くから、葬式と供養をこの現代までも、続けて止まなかったという歴史的な事実があり、低いとか、高いとか言っても、現実のその低い次元といわれるものを理解して初めて、理想が空想で終わることなく、なると思うのです。ただ、だからといって、私たち仏教徒は、各々いずれかの宗旨を持つもので、庶民の信仰を正しく理解したうえで、ご本尊に帰依し、それを通して、先祖をまつるという形を取っていってほしいと思うのです。このような病める時代相に対する反省として、この数年、「まつり」とか「ふるさと」が見直されつつあります。言葉を換えていえば、人間の原点への復帰を願う人々の心のあらわれといえましょう。「人間の原点」とは、人間を人間たらしめる根幹のことです。
お墓は、自分を育ててくれた父母、祖父母、あるいは若くして亡くなった弟や妹、子どもたちを追慕する人間の美しい心情の発露として建立されてきたものです。お墓をたてることは、死者をないがしろにしない人間性豊かな行為であり、人間の原点へ復帰する営みともつながり合うのです。ところで最近は、このお墓をたてる行為が、死者を過去に葬り去るだけのために終わっているようです。一口でいうと墓が死んでいます。お墓をたて、盆や彼岸に墓参りする行為は、先祖と語り合い、人間の原点にたち戻ることによって過去を現在に甦らせ、さらには未来へと続くもっとも人間的な行為なのです。それだけに生きた墓でなければならないのです。子孫を必要とせず自分一代でよしとする人、未来を信ずることができない人には墓は不要です。
私たちの一生には浮沈はつきものです。大切なことは、逆境の時に、その苦痛に打ち勝つ精神力こそ幸運を招来するということです。正しい先祖まつりをする家は家庭のなかも明るく、活気に満ちています。先祖まつりの輪のなかにこそ、未来に希望を持って生きるための糧があるのです。私たち小さな人間が力強く生きていくための数々の教えが、お墓には隠されているのです。
早いもので初版を出してから、二十二年が過ぎました。その間、数へ切れない相談者と会い、物足りなさから七年前、墓相の面でもっとも大事なことである運勢を前面にした「家運墓相学」を出版しました。そして、今また逆に「家運墓相学」にない分の説明不足を補うことから、改訂版として再び出版したわけです。
世はまさに「天誅の時代」です。
すべてが崩壊しています。その苦難の時代を生き残るためには、本来の日本人を取り戻すことではないでしょうか。日本人であることを忘れてしまった日本では、やがて消滅してしまいます。せめて、古くから伝承された先祖まつりを見直し、日本人の芯を取り戻してほしいと懇願するものです。
体験談I 様(68歳・自営)
我が家ではお墓を直してから、お祝い事が続きました。
私どもは結婚以来、神田須田町で和菓子屋を営んできました。これもご先祖様あってのこと、何とかお祀りのできるお墓を作りたいと念願していましたので、昭和61年に埼玉県大宮市の霊園に墓地を買い、お墓を建てました。ところが、”何か違う”と胸につかえがあるようで、落ち着きません。そこで、墓相に関する本を片端から目を通した中で、”これだ!”と思ったのが足立先生のご本でした。早速、お電話を入れて木更津の事務所までお伺いしたのです。先生のお調べでは、このお墓にはご先祖様以外に泉家に奉公した人たちの霊も祀ってあり、それが良くないとのこと。すっかり納得した私は、その場で足立先生にお墓の建て直しをお願いしました。 昭和六二年に先生ご指導のお墓を建てると、不思議なことに我が家にお祝い事が続いたのです。まず、昭和六三年に和菓子を作る工場や自宅が入った四階建ての自社ビルが建ち、平成に入るとお店の商品である「萬祝(まいわい)」というお赤飯を、秋篠宮様ご成婚の日のご祝膳に使っていただくという栄誉に浴しました。お墓を建て直して、ご先祖様が満足して、私たちを後押ししてくださったのでしょう。
体験談W 様 (51歳・主婦)
足立先生のご指導で、実家も私もみんな幸福です。
主人の祖父のお墓詣りに富山に行った時に、偶然足立先生と同宿となり、宿の女将さんが紹介してくれました。ちょうどその頃、私の実家では母がお金を出してお墓を建てたのですが、母はその後何度も手術することになりました。お墓を建ててからのことなので、何かお墓の祀り方がいけないのではと思っていましたので、早速、ご相談すると、実に明快に答えてくださいますので、この先生ならと思い実家の墓の建て直しをお願いしました。 すると、母は健康になり、長男である兄も村会議員に当選するなど、開運のきっかけになりました。そこで、私の家の墓も見ていただいたところ、「男運に不足の出る家だ」とのこと。主人は喘息認定患者ですし、うちは娘一人なので将来そんなことで結婚相手が早死することになっても困るので、先生に建て直しをお願いしたのです。先生は戸籍謄本を取り寄せ、いろいろ調査をされ、ご先祖様一人一人の祀り方を指示するなど、丁寧に指導してくださいました。そのお陰でしょうか、主人の喘息の発作も収まり、虚弱に生まれた娘も病気もせず成長し、幸せな毎日を送らさせていただいております。
体験談匿名(40歳女性 愛知県豊田市在住 喫茶店経営)
素晴らしい人生を迎えられる事を願い精進してまいります。
人生生命ある限り、いまのまま、このままで良いと云う事はないと言えるのではないでしょうか。今までの私自身の生活を振り返った時、あのころが一番良かったと思えることも多々あるけれど、今を見つめたとき、また、明日がより良い一日でと願うのは、人間だれしもと思います。
こうした沢山ある慾も、今は少しでも神、仏に正しく接し、ご加護を頂ける様、一生懸命その機会をとらえ、出向くよう、努力することでいっぱいです。
その一つに、一年に一度の無縁さんのおまいりは、今年で三回目ですが、その時その時の素晴らしさを感じさせていただき、この日を楽しみに一日一日を頑張る事のできる私は、本当に幸せを感じます。
その幸せは人それぞれでしょうが、一人でも多くの人に、体験、御縁を頂けたらと思い、声を掛けさせていただくことも幸せです。そして周りの人たちと同じ、家族、姉妹のような心の絆を頂けると、そんな気がしてならないのです。
今年は、地蔵流し、虚空院塔開眼、放生会と、とても中身の濃い二日間でした。何か地に足がついていない様で、帰って来てから、また地蔵行をさせていただき、心から足立先生、皆様に感謝し、休ませていただきました。
私が色々な人たちと良き御縁を頂けたことは、一人の時間のどこかに私の時間を作り、じーっと考えたりすることで、なにかと出会うと「どうして?」「なぜ?」と思い、もつれた糸がすーっと解けることがあります。
物事を前向きに考えると、我慢すること、感謝すること、等は生まれ育った家の中から身に付いたことと、ご先祖様、父母に心より有難うございますが云える自分になれたのだと・・・・・・・・・。
これからも、もっと、もっとを求め、残りの人生無理しないよう、コツコツと陰徳積みに励みます。足立先生にご指導いただき、皆様と仲良く、素晴らしい人生を迎えられる事を願い精進してまいります。二十二日、二十三日の二日間に深く深く感謝します。
体験談匿名(70歳男性 千葉県富津市在住 不動産会社経営)
足立先生のご指導で念願の墓相に至る墓地を作る事が出来ました。
昭和四十九年、当時私は一日に百本のたばこを吸っていました。下着はおろか体までがヤニ臭く、なんとか煙草をやめたいと思っていたところ、知り合いのおばあさんが無縁さんのおまつりをしており、この無縁さんに三度お参りをすると止められると言い、まさかと思いながらお参りをしました。最初のお参りはのときは半日しか止められず、二十日おいて二度目の時もやはり半日、さらに二十日おいて三度目のお参りをしたところ、全くそれだけで一向にたばこを吸いたいと思わない。
結局それっきりたばこと無縁になってしまったのです。あのたばこを吸っていれば、今頃は肺がんにでもなって、死んでいたかもしれないと思っています。そうしたことから私たち夫婦は、毎年八月の無縁墓石供養に思いを寄せ、一年一年を過ごしております。
私どもはかつて、四十年と云う永い永い年月を、墓地の改修を願っていろいろと模索しておりましたが、ありがたいことに足立先生との御縁に結ばれ、念願の墓相に至る、墓地を作る事が出来ました。それからの私共、家内共々なん時も、有難い、良かった良かった、と云う語らいの中で常に家内と二人で暮らしております。それからというもの、毎年行われる八月の無縁墓石供養に参加させて頂き、感激一入で、また来年もと、皆様と約束しては、来年の八月を心待ちにしております。特に今年は、虚空院塔の建立祭に臨み、只々例年と違った感激を受け、心身ともにご利益を戴きました。ここ 二、三年交通事故で足、腰を悪くし、無縁供養のときは杖にすがり、やっとの家内が、腰を伸ばし、杖なしで元気に歩けるようになりました。
誠にありがたい事であります。また来年も是非是非皆様とご一緒にお参りいたしたく願っております。