耳慣れない言葉なので「歴祭」について注釈をさせていただきます。
◆報恩の法
私達、福田海のおしえは、あらゆるものに対する報恩の重要性を説いています。そして、そうした恩に唯、心の中で感謝すると言うのではなく、どうすればその恩に報いられるかその方法を説き実行されたのが海祖だったのです。必ず形と行為に表さねばならぬというもので、私達に精神主義は通用しないのです。
◆歴祭の起こり
歴祭は福田海海祖が創始された、古今東西の歴史にも先例のないものです。明治42年政府が太陰暦の廃止を決めたことに関係します。太陰暦は古代から明治まで千年以上用いられてきたもので、私達は、暦の恩には気づきにくいのですがそれだけに、その恩の大きさが判るはずです。時代の流れとはいえ千年以上、一日一日暦のお世話になって居たことを思えば そのままにしてしまう事は、むしろ、国として大きな借銭が残る事に成る、これが太陰暦への報恩の為の歴際になったのです。
◆歴際の総願と個人の受ける徳
暦の祀りですので太陽暦も祀ります。しかし、歴祭の総願は暦への報恩だけにとどまりません、なぜなら根本的な総願は「天恩に報謝」することに有るからです。「天恩」とは「日月」の恩の事です。私たちは、父母の恩は判りますが、日月の報恩の方法が判りません。太陽に向かって柏手を打ってみても遠くて届きそうにも有りません。そこには何か「媒介」するものが必要です、それが「暦」なのです。
なぜかと言えば、暦は日月の運行を本にしたもので、これを逆に考えると「日月のお働きの表されたものが暦」だからです。暦は日月の過去帳であり未来経であるのです。このように歴祭は暦を祀ることを通して日月を拝み、日月の恩、言いかえれば天の恩に報謝する祭りで「天恩報謝祭」と言うべきだということです。
個人では一口でいえば「天徳」を受けると言うことで、日月の運行の様に毎日毎日何の異常もなく規則正しく万事が進んで行くと言う徳、滞りや行きづまったりすることがない徳、又、天徳とは衰える、枯れる、弱る事はないという徳、健やかさという徳でもあるのです。