永代供養 上総浄苑へ 足立宗禅の人生相談

墓じまい遺聞

古い話だが私たちの福田海にはこんな過去がある。

明治28年というと約120年前の事だが、大阪の四天王寺にあった話である。たまたま、海祖が鳶田墓地において約300基の墓石を石工が破砕しているのを見て、それが四天王寺の命である事を聞き同寺の吉田源応僧正(後の天台座主)に面会を求め、そのよろしからざる所以を赤誠こめて述べ、ついにそれら墓石の処置一切を任されたという事があった。これら墓石中には「秋の坊」の墓も含まれて居たのである。秋の坊とは聖徳太子から同寺の管理役に任ぜられた小野妹子の子孫が居住した塔頭で、四天王寺は明治以前千有余年、秋の坊が管理して来たものである。

※四天王寺乾地に祭祀せる秋の坊の墓※

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この時の海祖の所説は「秋の坊は四天王寺の管理者の先祖であり、その墓は四天王寺を管理する徳力をもったものである。したがって、同寺にとって秋の坊代々の墓は特にねんごろに祭祀供養してゆかねばならぬ道理で、一家にあって先祖の墓をないがしろにする子孫は衰えると同じく、寺にあっては歴代住職墓を疎かにすれば寺運が衰微するのが、当然の理である」と言うものであった。また、この際、託された300基の墓の供養が機縁となってその後の二十万基を超える無縁墓蒐集福田の端緒となったのである。

※中央が法華千部塔 周囲の宝篋印塔32基は明治43年
3月建立 後方に四天王寺の堂宇が見える※

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言うなれば、旧墓を墓じまいし、別の祀りに置き換えたということで、祭祀供養は形をかえても続けることが望ましい、それが子孫の役目とい言うことではないだろうか?
そこに、先祖の加護が生まれてくるのである。先祖の祀りを煩わしいとする者に先祖が加護する道理はない。自分にできないからと言って自分を生み育ててくれた親を捨てることになるのである。他人に託してでも方法はある、時代の変遷があっても親の恩を捨て、のがれるようでは失格人間ではないか。